奉仕経済が浸透するにつれ、社会に様々な変化が生まれてくると思いますが、ではどのような変化が生まれるのか見てみることにしましょう。
・・国内社会における変化・・
・儲ける必要のなくなった奉仕社会では、人口分布は均一化し、今のような過密都市は無くなります。
・人集めが必要なくなった奉仕社会では、村おこしや町おこしなどが不要になります。
・類は類を呼ぶ法則により、似通った人たちが居住する地方色豊かな小都市国家が生まれます。
・物や人の移動が少なくなることによって、交通事情は大きく変わるでしょう。勿論、マイカーなどが走っていないので、交通渋滞も交通事故も昔話になります。
・競い合い、奪い合い、争い合いのなくなった奉仕社会では、あらゆる犯罪がなくなります。したがって、警察も、検察官も、裁判所も、刑務所も、弁護士も、いらなくなります。
・必要以外の情報が流されなくなった社会では、迷いが少なくなるため、欲望や感情が押さえられ、道を外す人はいなくなるでしょう。
・均質な小都市国家が生まれることにより、物の偏り、人の偏り、生活の偏りなど、あらゆる偏りが解消されます。
・奉仕社会における介護は、特例を除いて、全て肉親がやるようになります。ですから奉仕社会には、介護施設などないのです。(奉仕社会移行当初にはある)肉親に介護される被介護者の、なんと幸せなこと・・・これも、労働力が豊富な社会だからこそできるのです。
・ストレスが少なくなることにより、事故や病気や自殺が減ってゆきます。もう今日のような沢山の医者や病院はいらなくなります。
・勉強勉強!試験試験!とお尻を叩かれなくなった子供たちに、笑顔が戻ります。もう学級崩壊も、校内暴力も、いじめも、なくなります。
・儲ける必要がなくなった奉仕社会では、土地も労働力も有り余るほど生まれます。したがって、建物は上から横に広がり、人は大都市から地方へ分散してゆきます。均一な人口分布は、奉仕社会の誇れるところです。
・奉仕社会では、痒いところに手の届く、労働力の使い方がされます。奉仕労働者が目指すのは、緻密さです。良質です。豊かな社会とは、このように量より質を求める社会なのです。
・・国際社会における変化・・
・国家間の争いがなくなった奉仕世界では、一切の武器、一切の軍備は不要になります。したがって、軍事施設は工場に、滑走路は田畑に、軍人は奉仕労働者に、姿を変えるでしょう。
・世界の人口分布は、国土の面積に比例したバランスのとれたものとなります。
・人種や民族の存在意味を知ることにより、人々の意識の中に国境がなくなってゆきます。「人類は一つ、人類はみな家族」の意識が、当然のごとく定着するでしょう。
・人の欲が静まることによって自然は息を吹き返し、水も、空気も、土も、昔のような清澄さを取り戻すでしょう。もう台風・竜巻・豪雨・雷・地震などに悩まされることもなくなるでしょう。
・商業活動がなくなることにより、陸・海・空の交通量は激減します。当然、交通事故も船舶事故も飛行機事故もなくなるでしょう。
・人類は一つ、人類みな兄弟の意識が高まった奉仕世界では、人種の壁も国境の壁も取り外されるため、全ての資源が全人類のものとして、平等に、計画的に、使われるようになります。もう無謀な資源開発も、無謀な資源消費もなくなるでしょう。
ザーッと奉仕世界の変化を見てきましたが、では具体的にどのような変化が訪れるのか、奉仕社会の世情の一端を覗いてみることにしましょう。
・・街の景観・・
朝の通勤、街ゆく人々の顔はどこか喜びにあふれています。生活に追われることもなく、利益追求に悩まされることもないので、心に余裕があるせいでしょう。だから、しかめっ面をして歩いている人など一人も見当たりません。大通りには、エゴの象徴であるマイカーなどは見られないし、宣伝用のケバケバしい看板や、ノボリ旗なども見られません。道端には空き缶やタバコの吸い殻や紙屑などは落ちていないし、もちろん浮浪者の影などみじんも見られません。ダミ声を発して自己主張を繰り返す政治家の姿も、ノボリを掲げて気勢を上げる労働者のデモ隊も、軍艦マーチを奏でて連なる右翼団体の車も見られず、街の景観は美しく静穏そのものです。
通学風景も、微笑ましいほど和やかです。車が走っていないので、子供たちは道を歩くのに神経を使うことがありません。また居住地に近いところに学校があるので、余裕をもって通学ができます。学校の近くに工場があったり、飲み屋があったり、遊戯場があるといったことがないので、悪に染まったり事故に出会う機会もありません。また住宅地や学校の周りには、緑多い公園が用意されているので、自然に接する機会もずっと多くなります。休日ともなると、その公園から子供たちのはしゃぐ声が一日中聞こえてくるのです。
・・社会情勢・・
社会情勢も誠に穏やかです。新聞を開いてみても、テレビをつけてみても、円がどうなったとか、株がどうなったとか、経済摩擦がどうとか、不況がどうとか、どこそこの国が飢餓で苦しんでいるとか、地球環境がどうなったとか、交通事故で何人死んだとか、テロで何人死んだとか、そんな殺伐とした報道は一切見られません。目や耳から入ってくるのは、微笑ましいものばかりです。それもこれも、労働本位制を柱とした奉仕経済が定着したお陰です。何せ、お金がないのですから、争いも、競い合いも、奪い合いも、起きようがないのです。
・・自然の景観・・
このように街の景観は言うに及ばず、自然の景観もまた清らかで美しいのです。空を見上げれば、透き通ったスカイブルーがどこまでも続いているし、地に目を落とせば、緑の外套をはおった野や山が私たちの目を痛いほどに射ってきます。その合間を縫って流れる川も、輝くばかりの清澄さを見せています。だから、空気も、水も、食べ物も、そのままで美味しいのです。これすべて、自然と和合した証です。
・・家庭・・
そんな社会で、一番大切にされるのは家庭です。私たちは家の外に喜びや幸せを見出そうとしますが、喜びや幸せは家庭内にあるのです。その証拠に、家族の一人でも悩んでいたり病んでいれば、家族全員が滅入ってしまいます。どんなにお金を持っていても、どんなに楽しいことをしていても、心から喜べないのです。反対に家族全員が健康で悩みがなければ、つまらない楽しみでも心から酔えるのです。
奉仕世界では、何よりも家族の和を大切にします。平和の源が家庭内にあることを誰もが自覚しているからです。ですからこの世界には、家庭内暴力だとか校内暴力といったものは一切ありません。子供は大人を写す鏡だとか、社会を写す鏡だとかいわれますが、正にその通りで、家庭が平和なら子供は健やかに育つのです。
・・病院・・
平和の証は病院にも見られます。いやこの社会では病院とはいわず、『癒しの館』あるいは『癒しの園』と呼ばれています。館に入っても患者の数はまばらで、何とも閑静です。その患者も外科が殆どです。心が平和だから病人も少ないのです。今日、医療費が膨大となり国家予算を脅かすまでになっていますが、これは心の病が増えているからです。心が病むから肉体が病むのです。心が病むのは社会が悪いからです。いや、心が悪いから社会が病むのです。つまり心と病と社会平和は、相関関係にあるということです。
・・学校・・
奉仕社会の学校は、住宅地に隣接した公園の中に、一貫教育の場(小学校から大学まで)として用意されています。その学校施設は、目を見張るほど大掛かりなものです。何故かと言いますと、学校そのものが、実践の場になっているからです。学校の中に、技術を磨く職業訓練施設(研究所・試験所・工作所など)や各種スポーツ・各種美術・各種芸術などの施設が、数多く用意されているのです。生徒たちは、そこである程度の技術を身に付けます。身に付けた技術を今度は、外に出て実際に現場で試し、更に高い技術を身に付けるのです。その意味では学校は、外に(社会に)たくさんあることになります。学校を出たての若者がすぐに役に立つのは、実地体験し、そこそこの技術を身に付けているからです。
奉仕社会において生涯教育が必要なのは、転職する人の基礎知識を学ぶ場として、あるいは人生の目的〔X〕を知るための場として、学校教育が必要だからです。
学力試験も就職試験もありませんから、試験勉強で頭を悩ますことはありません。ですからこの社会には、苦学という言葉はないのです。
・・収得市場・・
住宅街の一角に、かまぼこ型の大きな収得市場があります。そこには家具調度品から日用品・食料品まで、家庭生活に欠かせない、すべての生活必需品が用意されてあります。夕方ともなるとその市場に、主婦たちが収得ボックスを引いて集まってきます。その収得ボックスには仕分けされた容器が備えられ、そこに、醤油を、砂糖を、魚を、豆腐を、直接収納し持ち帰れるようになっています。何の包装もしてありませんから、ゴミが一切出ないのです。またこの社会では、どんな食べ物も一切保存料は使っていません。この社会の人たちは、買いだめしないのです。その日収得した食料は、数日の内に使ってしまうからです。日々収得市場に足を運び収得するのが、主婦の日課なのです。
このように奉仕社会では、今日の社会とは全く違った風景が見られるのです。
どうですか?
こんな素晴らしい社会に住みたいと思いませんか?
住めるのです!
お金さえ無くしたら・・・。
奉仕経済さえ導入したら・・・。