・人を殺したり、傷つけたり、物を盗んだり、人を欺いたするなどの犯罪には、必ずお金が絡んでいます。これは、お金が見える物だからです。
・正当な手段によらず、単にお金を動かすだけで利益を得ようとするのも、お金があるからです。 額に汗して働くところに価値があるのに、ただ金を動かすだけで利益を得ようなど、怠け者のする所業です。
・お金は、消失したり破損したり失う恐れがある一方、偽金を作る旨味も存在します。
一万円札が跡形もなく燃えてしまった 。そのとたん、一生懸命汗して働いた成果が消えてしまった。それは、お金が物だから起きる矛盾なのです。
・ひとたびインフレーションが襲えば、お金の価値は瞬く間に失われます。お金の社会では、これは避けられない矛盾なのです。本当に価値あるお金なら、どんなことが起ころうと減ったり無くなったりするものではないでしょう。
・お金の退蔵は、不況を呼び込みます。お金の回転が速くなれば景気は良くなり、鈍化すれば途端に悪くなっていきます。これもお金が持つ弊害の一つなのです。
・お金は力の強い者や念の強い者の所に集まり、弱いところに集まらないという欠点を暴露します。これはお金が目に見える物であると同時に、エネルギーの塊だから起こる欠点なのです。
・通貨の増大は環境を悪化させます。通貨の増大は経済成長を意味し、国民が富むことでもあります。しかしそれは、自然が破壊されることでもあるのです。
・お金や硬貨は印刷したり、加工したり、また保管の手間もいります。今市中に出回っている紙幣は、110兆円を越えると言われ、そのお金を重ねると富士山の約500倍にも達するといいます。これだけのお金を印刷し管理する手間は、どれほどでしょうか?
・表現できない価値もお金によれば可能となり、これが真の労役を踏みにじってしまいます。江戸時代 不作で困窮した農民は、娘を売ってお金を作ったと言われまが、これは実際表わせるはずのない価値を、無理やりをお金で表わした典型的な事例です。これもお金の弊害の一つです。
・お金のある社会では、銀行・生命保険会社・損害保険会社・証券会社・不動産業や、その紛争を処理する警察・司法書士・弁護士・検察官・裁判官・刑務所など、本来無用の職業がたくさん生まれます。これも、お金のある社会だからです 。
・お金は、あらゆるつながりを分断してしまいます。金の切れ目は縁の切れ目と言われるように、お金は人と人とのつながり、人と社会のつながり、人と国家のつながりを断ち切ってしまうのです。何事もお金で解決できる世の中では、お金が全てとなり、人の情味とか真心といったものを希薄にさせてしまうのです。これも、お金の弊害の一つと言えるでしょう。
・お金欲しさに自分の指を切り落としたり、自分の臓器を売ったり、他人に生命保険をかけて殺そうと企むのも、お金のある社会だからです。
・生活保護者より年金暮らしの人の方が貧しい、あるいは生活保護者よりも働いてる人の方が貧しい、ということが起きるのも、お金のある社会だからです 。
・貯めた老後のお金を投資して騙されるのも、お金のある社会だからです 。
・宝くじにのめり込むのも、パチンコや競馬などのギャンブルにのめり込むのも、お金のある社会だからです。
・精魂込めて育てた牛や馬や鳥を殺さねばならないのも、売れ残った食べ物を廃棄処分しなければならないのも、儲けなければならないお金のある社会だからです。
お金に疑問を持っている方から、次のような痛烈な皮肉文が送られてきましたので、ご紹介します。
・お金がない社会になったら、泥棒さんが失業します。盗みたいお金は存在しないし、物は何でも収得市場に行けばタダでもらえるから・・・。泥棒さん転職してください。
・銀行もなくなります。保険会社もなくなります。証券会社もなくなります。大蔵省の職員もいりません。造幣局の職員もいりません。金融関係の仕事は全て無くなります。全員 、転職を考えましょう!
・犯罪は、ほぼ無くなります。だって、犯罪のほとんどがお金にまつわるものだから・・・。
・人と人の感情のぶつかり合いもお金が無くなれば、ほとんど無くなると思います。泥棒さんもいない!感情の縺れの喧嘩もない!ということは、警察官も職業を変えなくてはね・・・。
・警察官だけではありません。犯罪のなくなった社会では、検事や弁護士や裁判官も失業します。でも、しばらくは頑張ってみてください。そのうち暇で死にそうになったら、転職を考えてね♪・・・
・そうそう・・争いの無くなった世界では、軍人さんもいらなくなるわね。ということは、武器もいらなくなるので、軍事産業の関係者は、みんな失業だわ!!
ところで、軍人さんと軍事産業の関係者は世界でどれだけいるの?ものすごい人数じゃない?では、その人たちは、どこで働くことになるのかしら・・・やっぱり最初は、工場ってことになりそうよね・・その人たちが全員、生活財を作る工場で働くことになったら・・・大変よ(笑)・・・労働制限が必要だわ(笑)・・・だって、工場では、必要な分だけを無駄なく作るシステムになっているのだから・・そんなに大量の労働力は、使い切れなれないもの・・・。困ったわね~~嬉しい悲鳴が出ちゃうわ(笑)
労働力という人類の財産が有り余るほど溢れ出す社会・・マジックのようね・・・。
奉仕社会って、地獄を天国にひっくり返すマジシャンね♪
・お金がなくなったら、商社も無くなる。広告業もなくなる。 当然、営業マンもいらなくなる。販売関係の労働者は、全ていらなくなる。またまた工場で働く人たちが増えるわね 。では、どんな仕事が残るだろうか?
・農業は残る。畜産業も残る。果樹業も残る。林業も残る。水産業も残る。
お金を儲ける必要がないから、真心を込めて物作りが出来る。栄養タップリの野菜が出来るわね!牛乳も卵も美味しくなるでしょうね!蜂蜜なんかも質が良くなるでしょうね!それがタダで手に入る、そういう社会になるのね~~
・今の社会では、お金のことを考えるから、仕方なく体に良くない品物を買うしかない。奉仕社会は何でもタダで手に入るから、良い品物を選ぶことができる。となると、奉仕社会では健康も得られるわね!
・太陽光もタダ、空気もタダ、水(海)もタダ、土もタダ、 資源もタダなのに、どうして人間社会ではお金がいるの? それは労働力が、タダではないからじゃない?!
労働力がタダなら、何でもタダになるのは 当たり前よね!
だって、元々有るモノ(地球資源)は何もかもタダなのだから・・・。
・儲ける必要がないなら、物を作る仕事も自由な発想で出来るわね! また何をするにも、真心を込めることが出来るわ!「仕事♪」は楽しいことの代名詞になるわ^ ^
お金から解放された物作りの場は、喜びと活気に満たされることでしょう~~我が家に帰って、自分のアイデアと労働力で作ったものを家族と一緒に使う時の会話も弾むわね♪♪
今の社会では想像もつかない、夢のような物作り♪お金がなくなればそんな社会になるのね^ ^
・家庭の様子もガラリと変わるわよね・・・だって、お金のことを心配しなくなったら、ストレスって産まれますか?夫婦喧嘩も、半分以上お金に関係していないかしら?
お金がない社会になったら、夫婦喧嘩も無くなり家庭円満・・。家族はいつもニコニコ!・・あ!でも、一つ心配なことが・・・お金持ちだから結婚したと言う人は、離婚したくなっちゃうかもね・・そういう離婚は増えるかも・・・笑・・・ということは、お金がなくなることで、人の本音も実力もはっきりと見えるようになるかもね・・・
・お金持ちを目指さなくなれば、良い学校に入り良い会社に入る必要もなくなるわね!だから、頑張って勉強する必要もなくなる♪ ということは、学習塾もなくなるだろうな・・だって、学校での勉強だけでOKになるはずだから・・・。お母さんが、「勉強しなさい!」とうるさく言うこともなくなるわね!
・お金がなくなれば、子供たちは、自分の好きな道を進むことができるわね!もしかしたら、スポーツ選手や、芸術家、芸能方面の仕事に就く人が多くなるかもね・・・お金を儲けなくて良いので、質の良い技が見せられるようになるでしょうね 。
・それにしても今の子供たちって、可哀そう・・・銀行だとか、商社だとか、中身空っぽの会社に入るために、お尻を叩かれているのだから・・。それが嫌で登校拒否してるのかも・・・引きこもりの原因も、そんなところにあるのかも・・・。こうして考えて見ると・・・今の学校教育は、意味をなさなくなる。 早くそんな教育から、子供たちを解放してあげたいわね!
次のような 疑問も寄せられました。
・経済学を元に法律を作って国が命令しても、その通りに人が働くかといったら、働かない、だから国は強制力( 法律)をもって働かせようとする。国民は罰を受けたくないから仕方なく働く・・・、これでは真心を込めた働きができません。( 共産主義がそうでした)
人は自分の利益のためにしか、動かないし働かないのです。・・だから、何もかも最終的に人間に任せるしかないのです。その人間が働くか働かないかは、心が動くか動かないかではないでしょうか?
経済学通りにいかないのは、人の心が絡んでいるからです。だから経済学を研究するより、人の心を研究する方が現実的なのです。
経済学という学問自体に、疑問がわいたことでしょう・・・。
・人は利益に基づいて行動します。利益を得れば、自分の望みが叶う社会だからです。
そのためには、貨幣制度の下では、まずはお金が必要です。そこで望みを叶えるために、お金集めを始めるわけです。望みが、お金集めに変わった瞬間です・・・
・先日、知り合いが亡くなりました。老後のためにと定年後も働き、楽しみは退職してからとただひたすら働き、ある日ぽっくりと亡くなったのです・・沢山の貯金と、もらえるはずだった年金をこの世に残して・・・
今は苦しいけれど、 老後楽しむためなのだから、と自分に言い聞かせ頑張って働いてきた。でも、その時が来る前に自分はいなくなってしまった・・・ ってことは、ずっと苦しいだけだった、ということ?・・・。お金のある社会では、このような悔やみ切れない悲劇が生まれるのです。
・定年が楽しみで働いていた人に定年がやってきました。嬉しくて、毎日好きなことをして過ごしていました。趣味も満喫しました。でも2年たった頃、そんな毎日に飽き飽きし、「働いていた頃が懐かしいな!」と思うようになりました。これは一体、どういうことなのでしょうか ? 働いていた時は定年後が楽しみで、定年後は働いていたころが懐かしい・・結局どちらも楽しくなかった、ということではないでしょうか?・・。
お金のある社会では、心から楽しめるものなどないのです。それは真心を込める対象物が、この社会に無いからです。だから、本当の感動、本当の喜び、が湧いてこないのです。
・会社でどんなに一生懸命良い仕事をしても、お金をもらって働いているのだから、当たり前です。また、良い仕事をして喜んだり感動したりしても、お金をもらっているのだから当たり前だ!と思った瞬間、喜びも感動も消え去ります。
・子供のころ、北海道でおいしい牛乳を飲んで感動した。大人になって、子供の頃の感動が忘れられなくて酪農家になったけど、最高に美味しい牛乳を作っていたのでは、経営が成り立たない、そこで仕方なくそこそこの牛乳を作る。 お金が絡まなかったら、 いくらでも美味しい牛乳を作って皆に喜んでもらえたのに、それができない!子供の頃の夢が破れた瞬間です。だからといって、今更転職もできないから酪農家をやり続けるしかない。こんなことなら、サラリーマンになっていた方がマシだった!と思ってしまう 。ああ失敗した!・・・子供の頃、美味しい牛乳に感動しなかったら、こんな惨めな思いをしなくて良かったのに・・・。ということは、感動したのがいけなかったということ?
このようなことは、今の社会ではいくらでもあるのです。例えば、良い野菜を作りたい!良い卵を作りたい!良い服を作りたい !良い家を作りたい !と思っても、儲けなければならないのでそれができない!お金をかければいくらでも良い物が作れるのに、お金のある社会はそれを許さないのです。
「お金さえあれば・・・」ではなく・・・
「お金さえなかったら・・・」という意味なのです!
わかりますか?
お金のある社会では、 夢や希望や感動は子供時代のみに許される幻なのです。なんと悲しいお金のある世界なのでしょう!
・家族という社会の中では、お金は必要ありません。親戚や友達やご近所の間でも、 余りお金は必要ありません。でも、こんな経験ありませんか?友達から頂きものをもらったら、返さなきゃならないと思ったことが ・・この思いは、相手にお金を使わせたから、同じだけお金を返さないといけない、という損得感情から生まれた思いなのです 。それで、相手が必要かどうか分からない物をお返しするのです 。こんなこともあります。
お誕生日に、プレゼントをする人がいますよね・・高校生の頃、私はクラスメートから誕生日にプレゼントをもらいました。その人が、なぜ私の誕生日を知っていたのか不思議でした。私はその人の誕生日を知らないし、そういうことに無頓着なので、もらったきりでいました。その人は、いつの間にか私から離れて行きました。(笑
彼女は友情を、プレゼントで示したかったのでしようが、 私は「お誕生日おめでとう!」と言ってくれたら、それで満足だったのです。友情を物やお金で表せば、物やお金の価値に友情がすり替えられてしまうため、色あせてしまうのです。もしお金の無い社会になったら、プレゼントは言葉や笑顔に置き換わるでしょう。相手が必要かどうかわからないモノを強引に渡し、受け取った人の気持ちを想像する。どこか不純に思えて仕方ありません 。「あなたをこれだけ大切にしてるんですよ!」と思ってもらいたくて物(お金)をプレゼントするのでしょうが、それは、あなたは物やお金が好きでしょう? と言っているようなものです・・もし私も物やお金でお返ししたら、私は物やお金が好きだから、 物やお金でお返ししました、と言うことになり同類になってしまいます。相手に良く思ってもらいたくてプレゼントするのでしょうが、これは物の無駄遣いになり、地球環境を汚すことにもなるのです。年賀状を出すのも、その類いかもしれません。
必要なものを必要なだけいつでも手に入る社会では、物のプレゼントという行為はなくなりますね。その代り、優しい行い、優しい言葉、優しい想いでプレゼントし、お返しもそうなるでしょう。そこには真心がこもっているので、本当の感動が生れるのです 。
ここまでお金の弊害について述べてきましたが、いかにお金が多くの罪を作ってきたか、お分かり頂けたと思います。
私たちは、長い間お金の有る社会で生きてきたために、お金の有る社会が当たり前だと思ってしまったのです。今の子供たちが、コンピューターの有る社会を当たり前だと思っているように・・・もし私たちが奉仕社会に生まれたら、お金の無い社会を当たり前だと思うでしょう。