奉仕社会には、複雑な〔人為法・・人定法〕はありません。あるのは、奉仕社会人としてどのように生きるべきかを示す、〔生活法〕だけです。奉仕社会では、強制力の伴った法(刑罰の伴った法)は、できるだけ排除しているのです。なぜなら、お金も私有財産もない奉仕社会では、生活を破壊する争いごとが起きないからです。しかし、 感情や欲望による争いごとは起きるでしょうから、やはり社会秩序を保つ人為法は必要でしょう。しかしその人為法も、奉仕社会が熟成し人生の目的〔X〕が理解されるに従い、〔良心の法〕に置き換えられてゆくでしょう。
〔良心の法〕とは、〔因果の法則〕のことです。私たちの中に〔因果の法〕と言う〔良心の法〕があるのです。
・・因果の法則・・
(悪い原因を作れば悪い結果が、良い原因を作れば良い結果がやってくると言う法則)
人為法の裁きは不完全です。不平等です。間違いを犯します。今日、冤罪で苦しんでいる人がいるのは、人為法には多くの欠陥があるからです。しかし、因果の法の裁きは完全です。平等です。間違いを犯すことはありません。なぜなら、本人の良心が本人を裁くからです。今日、多くの人たちが痛い目や苦しい目に遭っていますが、それは本人が本人を裁いている姿(自業自得)なのです。
奉仕社会の人たちは、良心の法を信じています。さらに、〔性善説・・人間の本性は善である〕も信じています。ですから奉仕社会では、人為法より良心の法を重視するようになるのです。
この因果の法は、今の社会では日の目を見ないかもしれませんが、奉仕社会になり、〔因果の法則〕が学校教育に取り入れられるようになれば、きっと日の目を見るようになるでしょう。
良心の法が大手を振って歩く、そんな社会に一日も早くなりたいものです。