人間は自然物を何の疑いもなく自分のものにしていますが、この世界に一つでも私物があるでしょうか? この世界にある物は、私たちが生きている間一時使わせてもらっているだけで、決して私物化してはならないはずです。この世界には、何一つ私物は存在しないと同時に、自分が使ってならない物も何一つ存在しないのです。どんな物も、全ての生き物のために用意されているのですから、それを使ってならないという法(決まり)はないからです。ただこの世界は物質の世界ですから、時間と空間が重なるとぶつかり合うという不都合が生じます。だから重ならないよう便宜上、これはあなたのもの、これは私のもの、と一時区別しているにすぎないのです。にもかかわらず私物として扱うから、様々な争いごとが起きるのです 。
山も、川も、湖も、海も、大地も、全ての生き物たちの共有物です。なのに地主の子として生まれただけで、どうして土地を自分のものにできるでしょうか? それは、「ここからここまでが自分の空気だ!」と、主張するくらいおかしな話ではないでしょうか?
あなたが、土地を作ったのでしょうか?
あなたが、資源を作ったのでしょうか?
あなたが、島を作ったのでしょうか?
子や孫に財産を残す話は、何か美談のように聞こえますが、返って子や孫に争いの種を残すのです。物というものは、持てば持つほど煩わしいのです。このことは、何度も引っ越しをした人なら、分かって頂けると思います。物は、できるだけ少ない方が身軽でいいのです。
奉仕社会には、私有物というものは一切ありません。消耗品は別として、土地や家や家具調度品など、一切国からの借り物です。例えば引っ越す場合、引っ越し先の家には、必要な家具調度品が全て備えられてあるのです。ですから、ただ身を引っ越したら良いだけです。引っ越しの仕事も、みな奉仕労働者がやってくれます。労働力の豊かな奉仕社会ならこそできる、手厚いおもてなしです。