奉仕社会が目指す文明は、自然と人類が共存共生し合える文明です。それは、ハードな文明ではありません。穏やかで、ゆとりのある、質素な文明です。ところが人類は、早さ、便利さ、快適さが文明の証と思い違いし、今日まで物質文明(機械文明)を極度に発展させてきました。そのために自然が破壊され、人心の荒廃が進み、望みもしない苦しみが生まれたのです。
確かに物質文明は、素晴らしい文明に見えるかもしれません。でも物質文明には、温かみが感じられません。落ち着きが感じられません。何よりも、地球環境に悪影響を及ぼします。
一昔前までは、一つ一つの品物に人間的温もりが感じられました。例えば畳の藁の匂い、家具の木の匂い、その頃の文明品であったラジオや自転車にしても、お店の親父さんが自分の手で組み立てていたものですから、そこかしこに人の匂いが感じられました。また、家庭内においても手作り品が実生活に活かされており、それが家族の情を交わす原点ともなっていました。また食べ物にしても、その家独特のおふくろの味というものがあり、その中に母心が畳み込まれていました。
コンピューターに、人の心が入っているでしょうか? レトルト食品に、母心が畳み込まれているでしょうか? こうして考えると、人類が今日まで求めてきた物質文明は、どこか間違っているように思えて仕方ありません。
奉仕社会はそのことを鑑み、次のような文明転換を考えたのです。
〇実生活に密着した文明
〇自然と共生しうる文明
〇地域色豊かな土臭い文明
さらに奉仕社会では、文明の質をハードなものから、ソフトなものにシフトダウンしました。例えば、
〇便利なものから、意味ある便利なものへ・・
〇極度な速さから、適度な速さへ・・
〇極端な快適から、適度な快適へ・・
〇量から、質へ・・
〇頑健なものから、しなりのあるものへ・・
〇ギラギラ・キラキラしたものから、落ち着いたものへ・・
〇集中から、分散へ・・
〇高いものから、低いものへ・・
このように奉仕社会では、穏やか、ゆっくり、安定といった、自然のリズムにマッチした文明を目指すようにしたのです。経済面においては、工業の特化や農業の特化を止め、その地域で使うものはその地域で作る、いわゆる地産地消を推し進めました。
生活のグローバル化は一見喜ばしいように思えますが、地域の特色を消してしまう悪い面もあるのです。全世界の人々が、同じ食べ物や、同じ着る物や、同じ家に住む必要はないのです。その地域の気候風土にあった〔衣・食・住〕があるのですから、それを使ったら良いのです。
自然の犠牲の下に繁栄する物質文明は、決して長続きしません。奉仕社会はそのことを鑑み、自然と共存共生しうる文明を目指しているのです。