前述したように奉仕社会は、価値を認めない社会です。価値を認めると、お金を使用しなければならなくなり、今日のような争い多い社会になってしまうからです。ではどうすれば、価値をなくすことができるのでしょうか? それには、価値の正体を探る必要があるでしょう。
・・職業の価値・・
現在の常識では、スーツ1着と靴下1足では、明らかに価値に差があります。確かに、素材の量も手間の掛け方も違いますから、価値に差があって当然でしょう。でも、素材もタダです。工場の電気もタダです。手間(奉仕労働力)もタダです。何もかもタダなのに、どうして出来上がった物に価値が生まれるでしょうか?
タダの素材+タダの電気+タダの労働力=タダの製品
(大きな製品も小さな製品も、同じタダ)
次のようなことも同じです。
老人にとっては、医者は価値が高いかもしれません。でも健康な子供達にとってみれば、綿菓子職人の方が価値が高いのです。平和時には、芸能界やプロスポーツ界はもてはやされますが、戦争になり国が乱れたら、自衛隊の方が価値が高くなるのです。
このように、職業の価値というものは世情が変わり条件が変われば、変わってしまう無常なものなのです。
・・能力の価値・・
能力の価値も相対的価値で、絶対的な価値ではありません。
例えば、Α工場では有能な職人も、Β工場では、無能な職人になる場合があるのです。村民運動会では一番の早足も、県民運動会では、どん尻になる場合もあるのです。「大男総身に知恵が回りかね」の諺があるように、人には優れている部分と劣っている部分があるのですから、劣っている部分だけを見て、人を差別してはならないのです。
このように能力の価値も、条件が違えば変わってしまう無常なものなのです。
・・物の価値・・
物の価値も同じです。例えば、数十億円もする高価な絵も、砂漠で孤立すれば水1ℓの方が価値が高くなるのです。冷蔵庫もクーラーも、電気がなくては宝の持ち腐れです。金槌も釘も単品では役に立ちません。このように物の価値も、条件が揃わなければ生まれないのです。
・・量的価値・・
タダの資源とタダの労働力から産まれた物は、どんなに量が多くてもタダです。また量的価値というものは、単に量だけでは決められないのです。例えば、いくら時間をかけても価値が生まれない場合があるし、一瞬で価値が生まれる場合もあるのです。(芸術作品がそうです)
このように、相対の世界において価値は、幻にしか過ぎないのです。ですから、職業を羨んだり、能力を羨んだり、物を羨んだり、量を羨んだりしてはならないのです。価値が同じなら、給料も同じでなくてはならないでしょう。
では奉仕社会では、何を大切にすべきでしょうか? それは、仕事に打ち込む情熱です。真剣に仕事に取り組む姿勢です。奉仕社会では、仕事が出来る出来ないが問題なのではなく、どれほど真剣に仕事に打ち込んでいるか、どれだけ努力してるか、が問題なのです。
本当の価値(心の価値)は、見えないのです。見えないから価値は平等なのです。平等な価値なら、価値は無いのと同じではないでしょうか?
このように奉仕社会では、価値を無くし、あるいは平等にし、お金のいらない社会にしたのです。
ではお金のいらない理由を、詳しく見てゆくことにしましょう!